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​建築徒然

■ゲニウス・ロキ

ゲニウス・ロキ〔ラテン語〕=Genius locii=genius 〔精霊〕of lace〔場〕

地霊と訳されているこの言葉が私を、悩ませます。

特に現代の街並の貧困さを目の当たりにする時

大きくは、地方、地域、小さくは、その場所に相応しい建物とは、何なのかと

自問せざるを得ません。

プレハブやハウスメーカーのような全国一律の姿、形に否定的な立場である以上当然と言えば当然と言えますが・・・・

しかしながら、実際のところは「言うは、易し、行うは、難し」

一番の問題は生活そのものが、全国的に画一化されて来ている事でしょう。

地域特有の環境や地域特有の生活が地域(場所)特有の建物を生む、なんてのは現代に於いて、幻想なのかもしれません。

しかしながら、そう考え、割り切るのは、寂し過ぎます。これからも、もがきながら求めて行くしかないのでしょうか。

■「佇む」と言う言葉

キーワードとしては「佇む」と言う言葉を大事にしています。 
この「佇む」と言う言葉は、人間にも、建物にも使われます。 

単なる「雰囲気、様子」と言うよりは、廻りの空気(場)と一体感を構成し
むやみに自己主張をしていないが、存在感の有る状態を現しているように思っています。

自らの分をわきまえ、正しく他に活かされ、他を活かしているということでしょうかね。

■新しい事をしない

「新しい事をしない」
と言うのが私の基本的方針です。

まあ、私自身に才能が無い
と見極めているからでもあるんですけど。

天才的な建築家でもあるまいし
今迄に無い、形やデザインなんて
そんな簡単に出来る訳ないですよ。

私が、私が、と、人とは違う事を主張し
「斬新?」な建物を造り続けた来た結果は
何をもたらしんたんでしょうか。

混沌と混乱の景観だけのような気がします。

事実関係を確認していませんが

50年程前に「新建築」等に掲載された著名な建築物の殆どは、残っていないはずです。
50年程前に大工さんが建てた住宅の方が、残っている確立が高いと思います。

時間に耐えて残ってこそ、街並や景観を創るのです。

​新幹線から見える乱雑でチープな景観を見る度に溜息が出ます。

明治以降の建築教育の何処かに問題があるとしか考えられません。


もっと謙虚に、歴史に耐えて来た形やデザインボキャブラリー
を学び、咀嚼し、消化し、再構成する事によって
過去に繋がる現代の豊かさを実現出来るように思うのです。 

■美しい屋根
美しい屋根に憧れます。

私達日本人は、極最近迄
世界で類を見ない程多種、多様な屋根を持っていました。

茅屋根、樹皮屋根、板屋根、瓦屋根、石屋根、金属屋根等。
しかも、それぞれの屋根が、多種多様な形を持ちながら
調和を保っていました。

それに較べると、何か、寂しいなあ。
現代の建築群の屋根の貧困さを見ると。

自分の廻りの勾配屋根に限定して考えても
統一感、面白味、魅力に欠けるように思えます。

しかしながら、ただ単に、材料と形態を統一しても
調和や魅力を生むとは限らないでしょうし
お仕着せの統一は、単調、退屈を生むだけのような気がします。

一つ、一つの建物が向こう三軒両隣に
配慮しつつ、自主的に作って行くような地道な方法こそが
生き生きした調和への近道なのかもしれません。


■大黒柱

大黒柱に魅力を感じています。
日本人は、太古の昔から巨大な柱に独特な
思い入があったようです。
各地に残る縄文時代の栗の巨大な柱状遺跡がその事を
物語っていますし、諏訪大社の御柱、伊勢神宮の棟持柱
古代出雲大社の巨大な柱等も太古に連なっていると思われます。
ですから、民家に見られる大黒柱は、構造の支えであると共に
太古から受け継がれてきた人間の心の支えでもあるのです。​

 

■杉板張外壁

私の設計する住宅の外装は
杉板張にする事が圧倒的の多いのです。

理由としては
①自然材料であるので風化して行く様が好ましい。
②木材を無駄なく使う為。
③建築基準法をクリアー出来る下地の出現。

私は、特に杉板の風化したテクスチャーに魅かれます。

昔の建物の殆どは、板と漆喰か土壁の外装で構成されていた訳で
その事が、景観の連続性や統一感を醸し出していた
重要な要素だ、と考えられます。

それと、つい最近迄は
土塗壁の下地がないと、防災的意味合で
板張が許されない場合が多かったのですが
土塗壁をしなくても板張が出来る下地ボードが
出現したのは、好ましい傾向だと思っています。 

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